母は絶叫マシン?息子と孫が帰省中なのに急に腹を立て家事放棄

十数年ぶりに息子と孫娘の一人が一緒に帰省したときのことです。

母からするととっても可愛い孫が顔を見せたとあって、
帰省している間 母はいつになく上機嫌です。

毎日毎日朝早くから気合を入れてご馳走を作り、孫と息子に食べさせ
終日非常に嬉しそうにニコニコしています。

その姿は、とても認知症の初期症状がある人とは思えませんので、
嬉しいことや楽しいことがあると 気分が高揚して精神的にも安定し、
少しは症状が軽くなるのかと思いました。

しかし、母の良い状態や愉快なことは、それほど長くは続かないようです。

というのも、帰省期間 最終日の前日のことですが、孫娘が実家から
1時間ぐらいのところへ用事があるので出かけていこうとしたときに、
母が自分も一緒に行くと言い出しました。

でも、母は足が悪いので、徒歩で10分、バスで50分の移動は
本人にとってもたいへんですし、足手まといになるので駄目だと言うと、
例のブラックホールゾーン つまり不機嫌モードにスイッチが入りました。

 

〔 ブラックホールモード突入については

「穏やかな認知症の母が豹変して狂暴になり暴言を吐く瞬間!」

の後半部分を参照 〕

 

それからというもの、息子と孫娘だけでなく、父や弟にとりましても
針のむしろ状態です。ちなみに、その日の晩御飯は、なんと「ほか弁」です。

ここ数日間は、とっても上機嫌でせっせと炊事に励んでいて、
母もほんとうに嬉しそうだったのですが、腹を立ててからは食事を作る気配は
まったくないどころか、完全放棄の状態で、本人も何も食べていません。

ふつうは帰省した最後の夜ですから いつもよりは豪華な食事をしながら
家族の団らんを楽しむところだと思うのですが、母は炊事しないどころか
ふて寝をしていますから、仕方がないので弁当の買い出しということに
なったようです。

そして、父と帰省した息子と孫との3人で「ほっともっと」のお弁当を
暗~い雰囲気の中で ほとんど 会話することもなく 食べたそうです。

それから、帰省期間も終えていよいよ帰る日となりました。
帰省した当初、母は張り切って空港まで送っていくと言っていたようですが、
空港まで見送りをするという約束などはまったくお構いなしに
相変わらずへそを曲げたままでした。

十数年ぶりに息子と孫娘が帰省して、これから帰ろうとするときに
見送る側がふて寝されたままでは せっかくの故郷旅行が台無しなので、
息子と孫がそれとなく母に声を掛けるのですが、少しも効果がありません。

それでも、残念ながら時間はどんどんと過ぎていき、いよいよ息子と孫娘が
帰る時刻となりましたが、母は依然として不機嫌モードのままでした。

 

息子:「お世話になりました。それでは、帰ります。元気でね。」

母:「・・・」

孫娘:「おばあちゃん、元気でね。」

母:「・・・」

 

その後、息子と孫娘は、母の代わりに父にバス停まで見送られて
帰って行きましたが、そのバス停までの道のりが 気まずい事
この上なかったそうです。

ちなみに、その時の会話が。

 

息子:「お母さんどうしたの? 大丈夫?」

父:「どうしたんか分からん。大丈夫じゃないだろうね。」

 

とっても嬉しそうで上機嫌だったのに、ホンのちょっとしたことで、
不機嫌モードに突入するのも「認知症」のせいなのでしょうか?

それとも、母の持って生まれた性格なのでしょうか?

まるで「富士急ハイランド」のジェットコースター
「ええじゃないか」のような母の気分の上がり下がり
家族としてはたまったもんじゃございません。

有頂天になったかと思えば、まっさかさまに地の底へ急降下、
まさに、「絶叫マシン」のようですが・・・

まぁそれも、ええじゃないか・・・

 

本日の教訓:

認知症の方の中には、精神的にものすごくデリケートな方が

いらっしゃるようですし、感情をコントロールする能力も低下する

ことがあるようです。

それで、母の場合はもしかしたら、孫娘の外出に自分も一緒に

ついていきたいし、ついていけるものと思っていたところ

拒絶されたということで、深く傷ついてしまったのかもしれません。

何といっても 認知症の本人が感情を制御できないことがもどかしく、

一番不安で気持ちのやり場に困っているのだと考えて、

過敏に反応するのではなく そっとしておきます。

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