母から電話があり、「近所の人が亡くなったので葬式に行きたいが、
お父さんが居ないし犬が一匹になってしまうので留守番のために
今すぐ来てくれないか?」ということでした。
そのときは、ちょうどこちらにも用事があったので、
「急に言われても今すぐには行かれない。夕方ではダメなの?」と言うと、
「もういい!!たのまん!!」と激怒しながら、一方的に電話を
ガチャンと切られました。
あまりにも唐突なことだったので何のことかと思い、
急いで折り返しの電話をしましたが、なんど電話しても母は出ませんし、
そのうち電話が「ツー、ツー」と話し中になりました。
つまり、なんどもベルが鳴るのが面倒くさかったのか、
受話器を外したままにしたようです。
電話で連絡が取れなくなったものですから、一体どういうことなのか
事情を知るために父にメールを送りました。
そうすると、少ししてからメールの返信があり、
父は歯医者の予約を入れているためにもうすぐ外出するので
母さん一人になるが、犬を一匹置いままでは葬式には行けない
ということのようです。
それで、いくら大事にしている室内犬だからといっても少しの間だったら
大丈夫ではないかとメールすると、犬が一匹だけになるのであれば
母さんは葬式には絶対に行かないだろうということでした。
それでも、わたしは用事が入っているので 今すぐには実家には
行けないとメールすると、父は歯医者の予約の時間を変更して
自分が留守番をするようにするとのことでした。
外出するといっても何日も留守にするのではなく、
たったホンの数時間のことです。
たかが犬一匹ぐらい留守番させればと思うのですが、
犬を溺愛している母にとっては、もしも置いて出かけると、
後追いしてしばらくの間「キャンキャン、キャイ~ン、キャイ~ン」という
鳴き声が可愛そうで可愛そうで仕方ないので、置いてきぼりなんて
絶対に出来ないと言うことです。
そういえば、その昔「生類憐みの令」というのがあって、
犬が大事に大事に扱われたと聞いたことがありますが、
今の実家も「お犬さま」を大切にしているのでしょうか?
犬一匹のために、わざわざ人間を呼びつけるなんていうのは、
とてもわたしには理解が出来ません。
ましてや、犬だけでは留守番させられないので、
葬式に行かないというのも摩訶不思議な感覚のような気がしますが、
本人にとっては譲れないところなのでしょう。
「人間 vs お犬様」
「葬式 vs お犬様」
いったいどちらが大切なのでしょう?
どうやら、正しいとか正しくないとか、どれを優先すべきで
今はそのときではない などという大人の常識的な感覚を超えたところで、
本人の気持ちがあるのかもしれません。
これからは、世の中の一般常識や、善悪の判断や、何が正しいかという
大人としての判断ではなく、母の今の気持ちとどのように向き合うかが
求められるような気がしてきました。
そして、介護する側としては、そのような感覚が 認知症の初期症状がある
母との接し方として必要になってくるのでしょうが・・・
(今のところ、まったく自信はありませんが・・・、どうしましょう?)