一人でいると不安で頻繁に電話をしてくる母が安心できたワケ

父が救急搬送で緊急入院して以来、日中弟は仕事に行っていますので
初期の認知症の母は家で一人で過ごしています。

そして、父が入院する前と入院してからでは、
母のようすに変化が出てきました

というのは、入院する前よりも頻繁に母からわたしのところに
電話が掛かってくるようになりました。

それは、ただ単に”暇”を持て余しているのか?、
それとも、”不安”の表われなのか?
どちらかは分かりませんが、
以下のような電話が掛かってくるのです。

わたし:
「はい」

母:
「どうしてる?」

わたし:
「今、昼ご飯の支度をしているところよ」

母:
「ああ、そうねぇ。どうねぇ。変わりない?」

わたし:
「うん。なにも変わりないよ」

母:
「ああ、そりゃよかった」

わたし:
「何か用事?」

母:
「いや別に。どうしてるかと思ってね?
 変わりないならいいよ。それじゃ、またね」

 

そして、このような電話が一日に何度も何度も掛かってくるのです。

それもほとんど毎日です。

ですから、どうしても ”不安”がよぎります。

そうです、一人で一日中ボーーーっとして、
誰とも話をしない生活を続けていきますと、
認知症がさらに進むのではないかと ”不安”になります。

ちなみに、わたしが父の病院へ行っていて家を留守にしているときは、
留守電にしっかりと、母からのメッセージが入っています。

「お母さんです。別に用事ではなかったけれど、
 どうしてるかなぁと思って電話してみました。
 ただそれだけだから、心配せんでよかよー。」

(その後、留守電が続いていくにつれて、外出してから帰ってきたときに
 留守電が入っているかどうかを確認するのが怖くなってきました。)

 

さらに、入院当初は、一週間程度で退院の予定でしたが、
父の極端な体力の衰え(ロコモシンドローム・運動器症候群?)などにより、
もうしばらくは入院が必要だということになりました。

それで、日中母一人の生活が まだまだ続くと思いますと、
どんどん”不安”が増していきます。

 

これまで、一応 母の要介護度に合わせて幾つか対応してきました。

例えば、ガスコンロの火はつけっ放しが続いたときには、
ガスコンロのつけっ放しで火事になるのを防止するために
タイマー機能付きのガスコンロを購入しました。

また、住宅改修工事を依頼して、「踏み台の設置」と
「手すりの取り付け」や、他にも、福祉用具購入を利用して
「入浴用いす」を準備しました。

さらに、母がキチンとした食事を作ることが出来なくなったときには、
「食事の宅配」という便利なサービスを知り、「ワタミの宅食」を
依頼することにしました。

 

では、今回の用もない電話を頻繁にしてくるという母の変化には、
どのように対応したらよいのでしょう?

 

とりあえず、無い知恵を絞って考えてみました。

まず、頻繁に電話してくるようになったタイミングとしては、
間違いなく父が入院してからです。

 

では、なぜ電話をするのでしょうか? ですが・・・

 1.”時間”を持て余している
 2.夫が居ない”不安”の表われ

のどちらかだと思います。

 

No.1の「時間を持て余している」についての解決の糸口としては、
デイケアサービスなどに行くことが出来るかもしれません。

しかし、母はほぼ確実といいますか、絶対と言っていいほど、
デイケアサービスに行かないと思われます。

また、ヘルパーさんに来てもらうのも、
今のところ一週間に一度だけです。

ということで、No.1は対応のしようがありません。

 

次に、No.2の「夫が居ない不安の表われ」であるならば、
夫が居ないのですからどうしようもありません・・・

と思いつつ・・・
ちょっとしたアイデアが浮かんできました。

というのも、夫が家に居ないのであれば、
夫が居る病院へ母を連れて行けばよいのではないでしょうか?

 

それで、母に電話して、お父さんの病院へ見舞に行くかどうかを
聞いてみました。

そうすると、上機嫌で「行く」という返事でした。
(普段は、足が悪いので極端に外出を嫌うのですが・・・)

また、病院の父にも連絡を取り、
「お母さんがお見舞いに行きたいと言っているけど、
連れて行っていいか」と聞きますと、
「来てくれたら嬉しい」ということでした。

 

それで、わたしの慣れない運転で、母を連れて父の病院へいきました。

母は足が悪いものですから病院の車椅子を借りて、
父の病室へ運んでいきましたが、
そのときの病室での二人のようすをご紹介します。

父:
「おお。来たか・・・」

母:
「どうねぇ? ちょっと瘠せたんじゃない?」

父:
「うん? いや、変わらないけど。」

母:
「そう・・・」

父:
「おまえは、大丈夫か?」

母:
「わたしは大丈夫よ! ほら! このとおり」
「全然、大丈夫じゃないじゃない」というわたしの心の声)

父:
「そうか・・・」

母:
「退院はいつ頃になりそうなの?」

父:
「しばらくは、掛かりそう」

母:
「そう・・・。 でも、治れば退院できるよ」

父:
「ああ・・・」

母:
「お父さんあってのわたしだからね・・・」

父:
「ああ・・・」

 

・・・

 

ホンの数日間、別々に暮らしただけですが、
ふたりとも病室での再会はとっても嬉しそうでした。

これまで、母からの電話では、
「お父さんは、どうしてるの? 容態はどうなの?」というような、
夫のことを心配している素振りはまったっく見せなかったのです。

でも、今回の二人のようすからしますと、口には出さないけれど、
母も父のことを心配していたようですし、
父も母のことを気遣っているのが分かりました。

どうやら長年連れ添った配偶者には、
ふたりにしか分からない世界があるようです。

 

お見舞いに行って以来、
母からの電話が少なくなったような気がします。

母も安心できたのでしょうか・・・

また、わたしの考えていました、
母の認知症が進んでしまうという”不安”も落ち着きそうです。

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